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わたしが独立したのは、30歳のときでした。それまではずっと、自動車の営業の外回りをしていたのです。いいかげん嫌になったころ、ふらりと入った焼き鳥屋のおやじの話を聞いて、独立を決意したのです。
生まれてきたときから焼き鳥屋だったような顔のそのおやじさん、なんと1年前まで当時のわたしと同じ、サラリーマンだったのだそうです。
「収入はそりゃ減りましたけど、なんといってものびのび仕事できますよ」といいながら差し出してくれた焼き鳥の味のおいしさに背中を押されて、わたしはフランチャイズ業界に飛び込んだのです。
単純なわたしは、そのおやじさん同様、フランチャイズの焼き鳥屋の経営に乗り出しました。偶然、空きができたとのことで、駅からほど近い店舗を本部から斡旋され、上々のスタートを切ることができました。
開業前の研修で、北海道の農場に行って1週間鶏の世話をしたのも懐かしい思い出です。
多少のトラブルはあったものの、おおむね好調なスタートを切ったわたしのフランチャイズ人生が暗転したのは、2年後のこと。わたしの店はまずまず優秀な成績をあげていたものの、フランチャイズ全体の業績が悪化。チェーン店ごとすべて、別の会社に売却されることになったのです。
ここで、わたしも移籍するかどうかの決断を迫られました。本部の担当者からは、移って店を経営し続けることを提案されたものの、これを転機に、別の事業に乗り出してみようと決心したわたしは、すっぱりと焼き鳥から身を引きました。
続いて、昔の知識が生かせると考えて、中古車のオークション代行業に乗り出しました。
自宅の近くに借りた狭いワンルームマンションをオフィスにして、比較的小資本で開業できました。もとより長くやるつもりはなく、とりあえずやりながら次の手を考えよう、と思っていたのです。
最初の1年は、苦戦続きでした。やはり自動車が嫌になって独立したのだから、焼き鳥屋を続けているべきではなかったかと悔やんだことも一度や二度ではありません。
しかし、石にかじりついたつもりでがむしゃらにやっているうちに、少しずつ暮らし向きが楽になってきました。気持ちの余裕もでき、お客様に向ける表情が柔らかくなってきたのが自分でも分かるようになりました。
そんなある日、付き合いのある同業者から、コンビニエンスストアをやってみないか、と誘われたのです。なんでも、その彼の親戚が経営していたそうですが、高齢なので引退したい、しかし、店をたたんでしまうのは惜しいので完全に譲りたい、と言っているのだとか。

これをきっかけにして、わたしはコンビニエンスストアの経営を始めたのです。
とはいえ、軌道に乗ってきた中古車の仕事もやめてしまうのは惜しい。折りよく、以前勤めていた会社の後輩がやめたばかりだと聞きつけたので、彼に連絡を取り、とりあえず半年のつもりでそちらの事業を任せました。
コンビニエンスストアは客層も良く、これといったトラブルもなく軌道に乗せることができました。
ところで、コンビニエンスの売れ筋商品は何だと思いますか? ほかの店のことは分かりませんが、わたしの店では、酒のつまみとペットフードがよく出ます。とくにペットフードは、高いものから順に売れていきます。不思議なものです。
余裕が出てきた現在、中古車業も後輩から自分の経営に戻し、今では、なにかもうひとつくらい手がけてみようかなあと計画しているところです。自宅を教室として使うことのできる英会話教室のフランチャイズがあるので、今度、そこに話を聞くことになっています。
会社勤めをしていたころとは生活パターンも交友範囲もまったく異なってきました。思えば、独立してからの何年間かは、ただ働いているというだけではなく、貴重な社会勉強をさせてもらっているのだなあと痛感します。
わたしに独立を決意させてくれた焼き鳥屋のおやじさんには、感謝しないといけません。今ではわたしも、元サラリーマンにはとても見えないような顔になっているのかもしれませんね。
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